マカダミアナッツにはなんと、6千万年以上の歴史があります。それぞれの時代を紐解くと、どうやら現在の「マカダミア」に至るまでに様々な「別名」があったとか…コロンとした固い殻に覆われた乳白色の美味しいナッツ、マカダミア。先人たちはこの木の実を見つけ、何を感じ、どう呼んだのでしょう?想いを馳せて、大昔にタイムスリップしてみましょう!
マカダミアナッツ「7つの名前」の真相は!?
長い歴史を紐解くと見えてきたそれぞれの由来
マカダミアナッツにはなんと、6千万年以上の歴史があります。それぞれの時代を紐解くと、どうやら現在の「マカダミア」に至るまでに様々な「別名」があったとか…コロンとした固い殻に覆われた乳白色の美味しいナッツ、マカダミア。
先人たちはこの木の実を見つけ、何を感じ、どう呼んだのでしょう?想いを馳せて、大昔にタイムスリップしてみましょう!
マカダミアナッツはオーストラリアの固有種で、ニュー・サウス・ウェールズ州北東部、クイーンズランド州中南東部の熱帯雨林に自生していました。マカデミアナッツには様々な種類がありますがマカダミア・テトラフィラ種とマカダミア・インテグリフォイア種の2つが現在主に商業用に生産されています。
先住民であるアボリジニの人々にとって、マカダミアナッツは貴重な食材であり、儀式の際の贈り物やご馳走としての役割があったようです。そしてそれぞれの時代に、別々の名前で呼ばれていたことがわかっています。この神秘の丸い木の実が当時なんと呼ばれていたのか、それぞれの由来とともにみていきましょう。
熟すと自らポトンと落ちるマカダミアナッツ
No.1 ガムブラ、グーンブーラ
祖母が昔、こんな話をしてくれました。
「小さい頃、父と一緒にネラン川沿いを歩きながらナッツを植えたものよ」と。
そしてこう続けました。
「あなたたちは今やそのナッツを‘クイーンズランドナッツ’と呼ぶけれど、当時は‘グーンブーラ’と呼ばれていたわ」と。
ユガンベ長老、パトリシア・オ・コナー
この言葉はパトリシア・オ・コナー氏によるもの。オ・コナー氏はオーストラリアのアボリジニに属するユガンベ族の一員で、ユガンベ語を復活させ、ユガンベ博物館を開設した功績で知られています。
当時ユガンベ族はクイーンズランド州南東部とニュー・サウス・ウェールズ州のノーザン・リバーズのマングローブの先住民であり、部族内で助け合いながらつしく暮らしていたといいます。
先ほどの言葉通り、この地域一帯を移動しながらユガンベ族がマカダミアナッツを植えたと言い伝えられており、現在もこの地域はマカダミア農園が広がり、当時ユガンベ族が呼んでいたグーンブラの名残が感じられる場所の一つ。ユガンベ語でマカデミアナッツを意味するガムブラ(Gumburra)またはグーンブラ(Goomburra)と呼ばれていたそうです。
No.2 バファル
オーストラリアブリスベンの北約300キロに位置するフレーザー島は75万年以上にわたって砂が堆積してできた世界最大の砂の島で、ユネスコ世界遺産に1992年に登録されています。
この島には先住民のバチェラ族の文化が色濃く残っており、バチェラ語ではマカダミアのことをバファルと呼んでいたとか。また当時「楽園」を意味する「ガリ」という名前がこの島の名称だったと言われています。
その後迫害などの痛ましい歴史の和解を求め、クイーンズランド州は離島の公式名称を現在の「フレーザー島」から先住民アボリジニのバチェラ族の「ガリ」へと戻すことを発表したばかり。
No.3 バオプルまたはボープル・ナッツ
「ボープル」または「バップルナッツ」の名前はクイーンズランド州の海岸沿いを少し内陸に入ったところにあるバウプル山に由来しています。
この山には何万年も前ブチュラ族が住んでいたそうで、驚くべき生物多様性を誇っています。現在ではこの生態系と文化遺産を保護すべく、国立公園として管理されています。
No.4 ブッシュ・ナッツまたはラフ・シェル・ナッツ
特にゴールド・コーストからニュー・サウス・ウェールズ州北部にかけて生育するマカダミア・テトラフィラ種の殻は、マカダミア・インテグリティフォイア種の滑らかな殻に比べ、かなりざらざらしています。その特徴から「ブッシュ・ナッツ」または「ラフ・シェル・ナッツ」という名前で呼ばれていました。
しかし1930年代には「ブッシュ・ナッツ」という呼び名はあまりに一般的で良いとされておらず、オーストラリア・ナッツ協会ではこの名称の使用を強く推奨していなかったとか!
No.5 ジンピーナッツ
ジンピー・ナッツは、ブリスベンとジンピー町の間に生育する非食用のマカダミア・ターニフォリア種の通称です。強烈な苦味があり、食用に適さないナッツを実らせます。同じナッツでもこんなに差があるんですね!
No.6 ハワイアンナッツ
当時のハワイ王国で栽培が盛んだったというさとうきびの防風林用として1880年代始めにハワイに移植されたのが始まり。ハワイの植物収集家でサトウキビ農家のウィリアム・パーヴィスは、オーストラリアを旅行中にこの木を見かけ、防風林としてハワイのサトウキビ農園に持ち込んだ、と言われています。
その後食用としての価値が高まり、マカダミアナッツがハワイで初めて大規模に商業生産されたのは実業家アーネスト・ヴァン・タッセルが1925年に設立したハワイ・マカダミアナッツ・カンパニー。
No.7 キンダル キンダル
マカダミアナッツの別名として最も良く知られているのはキンダル・キンダル、だと言われています。
カビ・カビ族は、クイーンズランド州南東部に住むオーストラリアの先住民族で、名前の響きはここからきたのではと推測されています。
彼らが当時住んでいた一帯はサンシャイン・コースト、ブリスベンの北からバンダバーグの南のグレゴリー・リバーとアイザック・リバー周辺。火山性のグラスハウス・マウンテンズや、コノンデール山脈からメアリーバラ近くの海へと流れるメアリー・リバー渓谷も含まれています。
Now: マカダミアナッツ
オーストラリア初期のマカデミアナッツ缶
植物学者フェルディナント・フォン・ミュラー(1825-1896)は、マカダミアの樹木を研究した最初のヨーロッパ人。彼は政治家ジョン・マカダムにちなんで(しかもマカダミは当時マカダミアを見たことも、ましてや食べたこともなかったというから驚きです!)「マカダミア」と名付けたとか。
その後マカダミアナッツの生産が開始され100年も経たないうちに、マカダミアナッツは世界中で知られるようになり、愛されるようになったのです。
まとめ
皆さんはどの名前がお好みでしたか?
マカダミアの持つ7つの名前の由来を辿ってきました。先住民のアボリジニの人々に由来している名前が多く、オーストラリアが原産だということを再認識した方も多いのでは?
そして、このナッがいかに太古からたくさんの人々を魅了してきたか、改めて感じ取って頂けたら嬉しいです!